一対一より集団のほうが恐いのかもしれません。 ボクの患った「人嫌い」はおそらく二種類あります。 一つは個人。もう一つは集団に対してです。
個人はもう、ここでも散々書いてきましたが、姉さんの一件です。 ボクが人を傷つけたのなら、 それで大事な人を失ったのならば、 せめて別の人には手を差し伸べようと、 ひたすら悩み続けてきました。
この件に関しては、ボクには誰も救えないと、諦めを手にすることである程度解決しました。 ボクは人と救うどころか、共に居続けることすら難しい。 仕事場のように挨拶や適当な会話をする程度の広く浅く突き放した関係か、 もしくは、狭く深く。様々な話が出来る人、会話が成立する人。 ある程度の仲の良さ、というのは維持が出来ません。 だからボクは知り合いはいても、友達がいません。
「人を信じるということは、簡単に出来ることではありません。それに、何人も出来るものでも、ないと思います」
姉さん自身が言った言葉ですが、ボクも同意です。 それでもボクらは人を信じるべきだったんだと、今では思いますが。
もう一つの集団も、先述の友達のいない理由に起因している気はします。 もしくはメビウスリンクのことが。
みんなと集まって話をしたり遊んだりする行為は今でも好きです。 好き、だと思います。 ただボクは人を信じられません。そして「ある程度の仲の良さ」が今では耐え切れません。
「この人はボクを嫌いなんじゃないか」 「この人はボクを無視をする」 「この人は気を遣わなければ離れていく」
「この人は――」
そんなことしか考えられなくなってしまいます。 一対一なら平気な人でも、集団の中で接すると、まるでボクだけ疎外されている感覚になります。 みんなは楽しそうなのに、ボクは蚊帳の外に置かれている。 まあ実際にボクだけ挨拶が返されなかったりする人もいるんで、勘違いだけではないですが、 それを引き起こすのもボクの人間不信が招いている気はします。
馴れ合いは辛いです。 多分それはボクが「友達」に幻想を抱いているからなんでしょう。 近付かれると、仲良く出来ると期待してしまう。 だからボクは付かず離れずを維持しないと人付き合いができない。
どんな集まりでも、ボクは信じられません。 この人達はボクを切り捨てる。 不信を拭うことが出来ません。
過去は出来たことが今は出来ない。 ボクはもう心から笑えなくなってしまったのかもしれません。
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